父と私

 子供のころ、私は父のことが大好きだった。思春期から結婚して子供が生まれる頃までは、大嫌いだった。そして、もうすぐ還暦を迎えようかという年齢の今となっては、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 世間のことなど何も知らなず、家族の中だけで生きていた子供のころ、ただやみくもに可愛がってくれる父が、大好きで、絶対的な信頼感を持っていた。私が何をしても、何を言っても、父が自分のことを、守ってくれると思っていた。
 そんな私は、父に対して少しずつ生理的な嫌悪感を持つようになったのは、思春期になり自分の身体に変化が出始めた頃だ。父は、相変わらず、子供のころと変わらず、スキンシップを求めて来る。私の前で無神経に身体の変化について、言ってくる。そのデリカシーの無さが、イヤでイヤでたまらなかった。そのうち、父親の全てを否定するようになった。
ちょうどその頃、「赤い○○」シリーズで人気を博していた百恵ちゃんのお父さん役の宇津井健さんが、私の理想のお父さんだった。
「私の本当の父は、実は宇津井健さんなの」という、妄想を膨らませて、毎週、楽しみに見ていた。番組が終われば、宇津井健さんとは何もかもかけ離れた、「父親」がいる。

父が稼いだお金で、何不自由ない生活をさせてもらい、私立の大学まで出してもらい、挙げ句の果てに、反対を押しきって結婚した私。

さんざん反対されたのたから、それこそ、我が身一つで結婚の覚悟をしていた。しかし、しぶしぶながらも結婚を許した父は、結婚させると決めた瞬間から、それはそれは派手に結婚式を挙げるべく、嫁入り道具の準備に、式場の費用など全部出してくれた。社会人としてまだ1年しか働いていなかった私にはほとんど貯金などなかった。本当に親に何から何まで出してもらっての結婚だった。

お金を出すことが、父の愛情表現だったと思う。私は、感謝しながらも、お金で恩を売られたような気がして、どこか複雑だった。

そんな父が、最大の武器であった「お金」を失った。営んでいた会社が多額の借金をかかえて、倒産したのだ。

実家か困っているという時、私は、何もしてあげれなかった。ただ、電話口で母の愚痴を聞くのが精一杯だった。

そんな状況でも、私たち一家が帰省すると喜んで迎えてくれた。

お盆に、まだ小さな長男を連れて帰ったとき、父と私と長男の3人でドライブに出かけた。たまたま通りかかったブドウ農園で、長男にブドウ狩りをさせてあげようとなった。費用は、確か一人1500円ぐらいだった。今までの父ならすぐにポケットから、お金を取り出して支払ってくれていたが、なかなかお金を出さない。「あれ?」と、その時気付いた。そうか、父にはもうお金がないんだと。たまたま私も持ち合わせがなく、結局、ブドウ狩りをせず、お互いに申し訳なさを感じながら帰った。

離れて暮らしていたせいか、それとも会社の倒産に大病と、あまりに大きな試練の中を生きる父に対する同情からか、かつて抱いていたような嫌悪感は、もうなくなっていた。

最近では、細々と母と仲良く暮らしていてくれるだけでも、ありがたいと思っていた。そんな中、父は脳梗塞で倒れた。

コロナの影響で、父を見舞うことすらできない私。娘としてまだ何も恩返しをしていない。