すみっこ暮らしのサチばあちゃん 帰る家は無い

能登半島地震で自宅が全壊し、神戸の娘の所に避難してきたサチばあちゃん。

神戸に来て1ヶ月が過ぎた。

サチばあちゃんの2次避難所は、娘の家のリビングの隅っこだ。

ダイニングテーブルと大型テレビの間の2畳ほどのカーペットの上が、サチばあちゃんの部屋だ。

避難所と違い、布団の上で足を伸ばしてゆっくりと眠れるはずだけど、なかなかぐっすりと眠れない様子。

「ゆっくり寝た」

という言葉を聞いたのは、神戸に来てから2〜3日してからだ。

毎日毎日、畑仕事や草むしり、冬になってからは雪掻きなど、とにかく動き回っていたサチばあちゃん。

娘のところには、畑もないし、雪掻きの必要もない。

じっとしていられない性格で、2次避難の翌日から、箒とモップを持って掃除を始めた。狭い空間しかない娘の家では、あっという間に掃除も終わる。後で片付けようと思っていた食器はすぐに洗ってしまい、洗濯物を干して取り入れるのも、すぐに自分の仕事にしてしまった。

娘が、毎日こなしていた数少ない家事は、あっという間にサチばあちゃんの担当に。娘の唯一の仕事は、食事の用意のみ。サチばあちゃんは、食べ盛りの孫や都会育ちの婿に何を食べさせたら良いのかわからないからと、料理はやらない。でも、ご飯はちゃんと炊いておいてくれる。

娘は、掃除なんてほとんどしていなかったのに、サチばあちゃんは、毎日、床や戸棚を拭いている。

「拭くだけ。片付けはできん」

私は、片付けも出来ない。よって物が溢れかえっている。そんな我が家の状況を見て

「上手に、しまっている」

とサチばあちゃん。物は言いよう。

我が家の家事だけでは、すぐにする事がなくなってしまう。

長い長い1日をテレビを見ながら、うとうとと寝ながら、過ごしている。

宙ぶらりんのサチばあちゃん。

86歳になって、まさか自分の家を失うことになるとは、、、

娘の家に遊びに来ているだけなら良かったのにね。

もう、サチばあちゃんの家は、無いんだよ。娘もまた夢うつつよような現実を受け入れなければならない。