母に感謝し母として感謝される世代の母の日

 「母の日」になると、義理の母と実家の母の二人に何かしらプレゼントを贈っていた。

 もちろん、どちらにも大変お世話になっているので、感謝の気持ちとして何かをプレゼントするのは当然なんだけど、どちらかと言うと、「贈らなければならない」という、強迫観念、義務感から、贈っていたところもあった。そんなプレゼントでも、二人の母は、受け取ると嬉ししそうだったし、やっぱりプレゼントして良かったなぁと思ったものだ。

 さて、今年の母の日。
義理の母は亡くなり、実家の母には、GW に会ったばかり。

 義理の母には、仏前にせめてカーネーションでもお供えしようかと思っていたら、実の娘さんからカーネーションのアレンジメントが届いた。もう私の出る幕は無く、娘さんからのカーネーションをお供えした。本当に心のこもった母の日のプレゼントだ。

 実家の母には、たまたま通りすがりの店で見つけた底が厚めの靴とエプロンを買った。GW に久しぶに実家に帰った時、必要かもと思った品だ。母から嬉しそうにぴったりだったと連絡があった。安物の靴とエプロンだけど、母の日ではなくても、母にあげたいと思ったもので、私なりに心をこめて贈ったプレゼントだ。

 そして、私も母。

 子どもが二人いるのに、「母の日」に自発的な感謝の気持ちを、受け取った記憶がない。
 もちろん、過去には絵やお手紙など、あったかもしれないけど、それって、幼稚園や学校で誘導されて仕方なく(?)書いたものだったと思う。
 時々、ママ友から、母の日に子どもが代わりに食事の用意をしてくれたとか、○○をもらったなんて聞くと、少し胸がざわつくけど。

 感謝の気持ちなんてこちらから要求するものでもないし、息子たちが自発的に何もしないのは、感謝されるような母親ではないということだろう。それとも、ただの無頓着?

 子どもに気を遣わせて、プレゼントを貰うよりも、何事もないようにスルーされるほうが、気楽だ。

 「母の日」も終わろうとした夜、長男がボソッと言った。
「いつも感謝しているよ。ありがとう。」
だって❗

令和元年「母の日」忘れられないわ。