2020年コロナ禍に父が逝って

 毎晩、8:30頃になると、実家の母に電話をするのが、恒例になっている。
電話かけ放題ということで決めたこのスマホ。しっかり活用している。長い時には、1時間近くも話をする。
 毎晩、80才を過ぎた母親と何をそんなに話すことがあるのかと思うかもしれないが、天気の話から始まり、その日の出来事などとりとめもない内容だ。そんな中、やはりいつの間にか亡くなった父の話で落ち着く。

 コロナのせいで、入院中も介護施設に入所中も、母は父に面会することが出来なかった。
 家にいる時は、1日に何十回と母の名前を呼んでいた父。どんなに母に会いたかっただろう。母は母で、『うるさいなぁ』と普段思っていても、自分なしでどうしているか、困っているんじゃないかと、父のことが心配で不憫で仕方がなかったようだ。
 そんな母が、父に面会を許されたのは、介護施設から再入院して、いよいよもう危ないという時期だった。初めて父の病室に入った時、父は、既に話は出来なくなっていたものの、母の姿を見るとニコっと笑って、布団を少しめくり自分の横に一緒に寝るように言っているようなジェスチャーをしたそうだ。ずっと、母が来るのを待っていたのだ。
 母の姿を見て安心したのか、その翌日には意識もなくなり、2週間後に母に看取られ、父は、旅立った。

 脳梗塞で倒れた後、父は、自宅に戻りたい一心で懸命にリハビリを頑張り、自力で歩けるほどに回復した。一度、自宅に戻って様子をみたらどうかと、担当医からも言われるぐらいだった。
 だけと、父は、自宅に戻らず介護施設に入所した。もちろん、それは父の意志ではなく、家族の都合だ。80才を過ぎた母が一人で、父の介護を担うのはあまりに荷が重すぎるという判断での入所だった。しかも、それは突然の入所だった。空きが出たので、すぐに入所しないと、次はいつ入所になるかわからないということで、あわただしく病院を退院し、隣接する介護施設に入所した。その時、父はかなり激しく抵抗したそうだ。なんとかなだめて介護施設に入っていく父を見送ったものの、母の胸中は、張り裂けんばかりだったたそうだ。
(ここでリハビリを頑張って、もっと良くなって、家に帰れば良い)
母も私も、そう、自分に言い聞かせていた。

 入所した翌日、私は、介護施設に電話をして、父と話をした。母から、かなり嫌がって怒りながら入所したと聞いていたので、何と言って慰めようと思いながら、父の携帯に連絡した。 
 しかし、思いに反し、父は上機嫌だった。
「看護士さんは優しいし、部屋は綺麗だし、良いところや」
って、、、なんだか拍子抜けしてしまったが、安心した。急いで母や兄に連絡した。二人とも、ホッとした様子だった。
 しかし、良かったのは最初だけで、だんだん食事が合わなくなり、そのうち微熱が続き、あれよあれよという間に弱っていった。
 介護施設で、母は何度も父との面会をお願いしたが、「コロナですから」の一言で、父が、一体どんな様子なのかも見ることも出来なかった。電話も点滴をしているから出ることも出来ないとのことで、父の様子は、時折着替えを持って行った時に、介護士さんにお聞きするぐらいだった。
 直接、会えないし、話せないし、相変わらず食べないし、まだ微熱は続いていて点滴をしているって、、、心配は募るばかりだった。

 母との電話の締めくくりは、いつも
「あの時、1日でも良いからじいちゃんを家に連れてくれば良かったね。」

 家に帰りたい一心で、リハビリを頑張った父。私は、
「歩けるようになったら帰れるから、リハビリ頑張って!」
って、電話口で父に何度も言った。

 父を騙したような後味の悪さが残っている。
「ごめんね。おとうちゃん」