ながーい弔電

 2020年8月17日に、じいちゃんが、死んだ。じいちゃんと言っても、私の父だ。孫が産まれてからは、「おとうさん」から、「じいちゃん」になった。
もちろん、私の息子たちからみると、正真正銘の「じいちゃん」だ。

 そのじいちゃんの葬儀の日。東京に住んでいて地方の葬儀に参列出来なかった長男から、弔電が届いた。

 亡くなった父にとっては、初孫にあたる長男。それはそれは可愛がられていた。会うのは、年に1~2度なのにもかかわらず、不思議と長男は、じいちゃんに懐いていた。じいちゃんも、そんな長男が可愛いくて、長男が成人してからもいつも、気にかけていた。
 亡くなる少し前に、入院している父と電話で話をしていた時のこと。
「○○は、元気にしてるか?」
半分ボケていて、会話があちこちとんでいる中でも、長男の心配はちゃんとしていた。

 そんな長男からの、弔電。きっと生まれて初めて打った弔電だろう。

『あんたなあ、弔電ってわかってる?それって、もはや作文やん、、、』っていうぐらい、長い弔電。一体、いくらかかったのか、心配になった。

 そして、涙がとまらなかった。

 いつもぼくのことを褒めてくれたじいちゃん。嬉しかったよ。無条件でぼくのことを受け入れてくれたじいちゃん。軽トラを運転しながら、隣に座っているぼくのことを優しく見守ってくれていたじいちゃん。本当に今まで、ありがとう。
 いつか可愛いお嫁さんを連れて会いにいくね。

 じいちゃんは、可愛いい孫にもそのお嫁さんに会うこともなく、逝ってしまった。