40年ぶりの再会

なんと40年ぶりの再会だった。
中学時代の同窓会。

山間部の小さな小中学校の卒業生。当時から僻地と呼ばれ、今では、廃校になり、もう何年も経つ。数年前に体育館を残して解体して、新しく集会所が建てられていた。
その集会所で、40年ぶりに同窓会をした。

きやち、さんち、あき、みー、ひとみ、みっこ、そして私。全員で7人。
小学1年から中学3年まで、一緒に過ごした仲間だ。

高校に進学する時に、3人と4人に分かれて、その後は、それぞれの消息は、帰省の折に風の便りで聞いていたぐらいだった。

中学の3年間、担任だった宮腰先生をお迎えして、40年ぶりに全員が揃った。

宮腰先生は、お年は77歳になられたそうで、お顔のホクロと優しい目元に当時の面影か残っていたが、すっかり痩せ細った姿に、40年の歳月を感じた。

一人一人、先生に
「私、誰だかわかりますか?」
と、質問する。フルネームで答えていただく度に歓声かあかる。

40年経っても、全員のことをしっかり覚えていた!それどころか、当時のエピソードもよく覚えていて、誰よりもよくしゃべっていた。

宮腰先生は、私の顔を見るなり、
「ご主人は、元気か?仲良くやってるか?幸せか?」
と尋ねてきた。
何で私だけ、そんな事を聞くのか不思議だったけど、お話を聞いているうちに、理由がわかった。

宮腰先生は、私が1年で教師を辞めて、親の反対を押しきって結婚をした、その後の人生について、気にかけていて下さっていたようだ。

教師になったばかりのころ、2歳年下の同時採用の同郷の子と二人で挨拶に伺った時のことを覚えていて、先生にも喜んでいただいたのに、私が突然辞めてしまい、ショックだったのかもしれない。

「幸せに暮らしています」の言葉に、
「そんなら、良かった。あんたのあの時の決断は、まちごうてなかった」
「ニコニコ笑っとるその顔を見たらわかるわ」と。

7人7様のその後の人生。地元を離れ各地に散り、40年間、懸命に生きてきた私達。定年まであと数年。みんな、なんとなく自分の人生の締めくくりに向かいはじめているが、私は、まだまだこれからだと思っている。

教師、校長、教育委員会と、定年までずっと教育に打ち込んできた宮腰先生。「生まれ変わってもまた、教師になって、子供たちの能力を引きだしたい」と、言い切ることが出来る人生を歩まれた宮腰先生が、眩しかった。

私は、教師という仕事を途中で投げ出し、今の自分がある。
「その後、何かに一生懸命に打ち込んできたか?」
「キャリアを積み重ねてきたか?」
そう尋ねられたら、答えは、
「いいえ」
と答えるしかない。

今後、何をして生きて行くのかわからないが、とにかく「誠実に生きる」こと。そうすれば、周りが自然と助けて下さるんですよね、先生。

結局、周り頼みってことか❗